愛山の講談私小説シリーズ アル中の種(1)

 

アル中の種

 

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 わたしは浅草木馬亭での独演会をハネると、安城光子を喫茶店に誘った。
楽屋見舞いの返礼のつもりだった。わたしの息は上がっている。三席演じた
からだ。
「講談は肉体労働だからね」
 体重が数キロは落ちている。わたしはコップの水を飲み干すと、光子に断
り、煙草に火をつけた。光子と喫茶店で話をするのは初めてだ。
 平成二年に建物が閉鎖され、講釈場としての看板は下ろしたものの、本牧
亭はプロダクションとしての機能を残していた。光子はわたしの講談を本牧
亭が主催する会で聴き、やがて木馬亭での独演会に足を運ぶようになったと
いう。
 木馬亭は浪曲の定席だが、ひと月の公演は十日で、残りを貸席にしていた。
 中高年で客席が埋まる講談の会で、若い女客は目立つ。わたしはかねてか
ら光子の氏素性に興味をもっていた。
 光子は祖父の影響で、子供の頃から寄席に親しんできた。本来は落語ファ
ンだが、ツボを得た講談の聴き方をする。わたしよりも十才年下、三十すぎ
て独身だが、OLの彼女に屈託はない。
 梅雨入り目前の日曜日の夕方、新仲見世に新しく開店した喫茶店は混んで
いた。浅草は夜が早い。この時間が書き入れ時だ。
「あたしは陽吉さんがアル中だって知らなかったんです。それがわかったと
きはとてもショックで、もう独演会にくるのよそうってきめたんですけど、
 でも普通の講談をやって、その後、そこまで自分を晒けだす必要があるの
って、聴いているお客のほうが辛くなってしまうくらいにアル中講談を語る
……。それが不思議にバランスがとれていて、だから続けて通っているんで
す」
 わたしの唯一の売り物がアル中講談だ。しかしわたしを嫌う客は、アル中
講談は暗すぎるといい、酒に耽溺した心の裏側を暴露する必要はないともい
う。そのまま心の片隅にしまっておけという。
 光子は数年前に神経を病み、短期間の入院経験がある。だからわたしのア
ル中講談に関心をもつのだろう。
「陽吉さんはどんなお酒を飲んでいたんですか?」
 わたしが演じた古典の「双蝶々廓日記」と「徳川天一坊」についての感想
を述べた後、光子は質問してきた。客席で何度も聞いているはずなのに、わ
たしの口から直接聞きたいのだ。こういう客は何人もいる……。
「自分の心臓に五寸釘を打込むような飲み方だね」
「それはまたいきなり過激なお言葉ですねえ」
「アル中のほとんどは自分を王様だと思ってる。いや王様になりたくて酒を
飲むんだ。だから酔っぱらうと、すぐに暴れる。王様だからそれが許される
と思ってるんだ。だけど中にはおれみたいに奴隷の酒もある。人に使われる
だけ使われている、世の中はまったく不公平だと思い込んで、いつも王様に
反逆することだけを考えてる。だから酒を飲むと暴れる。酒を飲むと奴隷は
憧れの王様になれるんだ」
「何にしても暴れるんですね」
 光子が笑った。
「どうもおれには現実離れした理想があるようなんだ。だから妄想といった
ほうが正確なんだろうけど……。でもその妄想の視点で、現実の自分を眺め
るから、どうしても叱責する以外にない。現実の自分なんて屁のようなもん
だからね。
 つまりおれは自虐的な思いを肴に酒を飲んできたということで、その場の
雰囲気や心情も充分に酒の肴になるんだ。たとえば演歌などは、とても自虐
的な歌だろう。だからアル中の酒にあう。ツマミなんざぁいらないよ」
「あたしはとても陽吉さんとご一緒にお酒を飲もうとは思いません」
 また光子が笑った。
「それはそうだろうよ。おれだってこのおれと一緒に酒を飲みたいとは思わ
ないもの」
「アル中さんって自分にも嫌われるお酒飲みなんですね」
「うん。そのことを認めざるを得ないね。でもそこまでいかないと酒はやめ
られないんだ。それにさっきおれは聴いているお客のほうが辛くなるくらい
にアル中講談を語るといってくれたよね。あれもいい例で、おれにはどうし
てもそこまで自分の世界を喋り、晒けださないことには気がすまないという
性分があるんだ。これはもう業の問題だね。酒をやめても、それはいまだに
残ってる」
「違います。とても勝手で、わがままなんだと思います」
「うん。たしかにそうかもしれない。だけど人間の本音なんてみんなそんな
もんだろう。赤ん坊と同じで……。ただアル中君は常に赤ん坊でいたいと思
ってるんだ。社会ルールやマナーを打ち破りたいと思ってるんだ。共存社会
なんて糞喰らえと思ってるんだ。だって人に付き合わないことがいちばん楽
なんだもの」
「やはり王様なんですねえ」
「それから行動上の不始末はありとあらゆることをしでかしてきたね。いく
ら酒の上とはいえ、まさかそんなことはやるまいと思われる、そのまさかの
中から、さらに厳選したモノをしでかしてきたんだ」
「それってちょっと想像できませんけど……。菊の花を食べちゃったって聞
いたことがありますけど」
「同期の落語家たちと、あるお寺で勉強会を開いていてね。そこにヘベレケ
で泊まった……」
「よくお仲間のところにお泊まりになられたんですってね」
「そりゃそうだよ。家賃を払ってないから自分のアパートには帰れない」
「……」
「ところが夜中に腹が減ったと、床の間に飾ってあった菊の花をいただいち
ゃったんだ……。だけど当人はまったく記憶にない」
「タバコの投げ捨ては?」
「それも記憶にはないんだけど、やっちゃったらしいね。これも人の家に泊
まって、寝タバコどころか、火のついたままのタバコを投げ捨てちゃうらし
いんだ」
「らしいんだって……、お部屋の中にですか」
「うん」
「どうしてそんなことをするんですか?」
「わからない。でもね、おれには強迫神経症があって……」
「強迫神経症って、気になることがあると片時もその思いが頭から消えなく
なって、その思いのままに行動してしまうという病気でしょう」
「そう。おれは些細な危険でも絶対に容認できないから、素面のときはタバ
コを強く灰皿にこすりつけてモミクチャにして火を消すんだけど、酒を飲む
と、その強迫神経症の線が切れてしまうんだ。それもただ切れてくれるだけ
ならいいんだけど極端に走ってしまう。つまりふだん異常なくらいにタバコ
の火に気をつけている分、酒を飲むとまったく気をつけなくなってしまう。
強い反動がくるんだ」
「それは陰気な人がお酒を飲むと急に陽気になるってことに似てますね」
「うん。根は同じだと思うよ」
「よくお酒を飲むと人が変わるっていいますけど、あれは違うんですね。極
端から極端に走って、その中間のバランスがとれないだけで、同じ一人の人
間であることに間違いはないんですね」
「そう思うよ」
「それと楽屋のみなさんは陽吉さんの酔っぱらい電話には困ったっていって
いるようですけど……。もう朝も真夜中も関係なく電話をかけてきて、しか
も同じ話を繰り返すって」
「アル中君は淋しがりやだからね」
「そういうレベルのお話じゃないと思うんですけどね……。でもやっぱり陽
吉さんはお酒を飲んではいけない人なんですね」
「そう。世の中には正常飲酒できる人と、体質的に受けつけない人がいて、
アル中君は酒を飲んではいけない人なんだ。それは妊婦や糖尿病患者と同じ
こと」
「それじゃどうしてアル中になっちゃうんですか?」
「バイ菌が体に入って風邪をひく。交通事故に遭って怪我をする……。これ
は因果関係がはっきりしてるよね。その症状の原因がすぐにわかる。だけど
アルコール中毒は仮に病原菌があったとしても、それがいつ体内に潜伏した
かがまるでわからないんだ。飲めば必ず連続飲酒に走ってしまい、しかも酒
癖が悪いというのは、あくまでも表面上のことでね。体質的遺伝の問題もあ
るけど、要するに生き方だね。酒に心を奪われて、酒が手離せなくなってし
まうという生き癖の悪さ……。アル中になる原因はそれしかないね」
「生き癖の悪さ?もうすこし具体的に教えてください」
「長くなるよ」
「かまいません」
 独演会の緊張感から解放されて、わたしは軽い興奮状態にあった。こうい
うときは昔話に限る。わたしは記憶をたどった。
 …………
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