「お友達が弟子入りを決断させてくれたというわけですか」
「うん。まるで安手の青春ドラマみたいだけど、あいつらが火つけ役になっ
てくれた。あいつらに見放されたら、おれは本当にお終いになってしまうと
思ったんだ。それは間違いない。人間は自分にとっていちばん大切な者にど
う見られているか、どう思われているかを考えて、本気で行動するんじゃな
いかな」
「そうすると講釈師になってアル中になってしまった陽吉さんは、その後大
切な人が見つからなかったことになりますよね。本名から品川陽吉という芸
名になって、学生の頃のお友達とは、まるで住む世界が違ってしまったし、
だから陽吉さんは孤立して、大切な人が見つからなかったから、お酒がやめ
られなかったということですよね。大切な人がいたら、お酒をやめようとい
う気になりますものね」
冷静な指摘だった。
「……それじゃ今のおれはどうして酒をやめられているんだろう。何故なん
だろう」
「自分でわからないんですか」
「わからない」
「どこかに大切な人は……」
「いない」
「不思議な話ですよね」
「ひょっとすると……」
「何ですか?」
「自分がいちばん大切な人だと思えるようになったのかもしれない」
「ああ、なるほど」
「そういうことかな」
「そうかもしれませんね」
「でもおれのような生き方をして、酒が体質にあわないと、なるべくしてア
ル中になっちゃうし、これを防ぐこともできないんだ。アル中の種はアル中
として花開くのさ。どんなに望んでも、他の花にはなれないんだ」
「それはずいぶん哀しいお話ですよねえ」
「そんなことはないよ。飲みたければ飲めばいい。アルコール中毒飲酒学を
専攻する奴はね。おれは断酒学に転部しただけの話なんだから……。
この世の中の枠組みから弾き飛ばされて、酒にすがり、酒が手離せず、飲
み狂って死ぬ人生もあるよ。おれはそれはそれでちゃんと認めてる。むしろ
おれのほうが意志薄弱で、酒を飲み続ける勇気がなかったのかもしれないし、
ことによると昼は寝て、夜は酔っぱらってる人生が最高の幸福なのかもしれ
ない。
ただ飲酒学を専攻した奴が、酒で死んでも同情はしない。それは自業自得
で、それがあなたの選んだ人生なんだという」
「それだけのことなんですか」
「そう。それだけのこと……」
「中川さんとか、安西さんとか、丸尾さんとかは、今どうしていらっしゃる
んですか?」
「みんな、それぞれがそれぞれに生きているよ。過去ばかりを振り返ってる
のはおれだけかもしれない」
酒をやめる道は忘れ物を取りに戻る道に似ている。忸怩たる思いに苛まれ
るが、忘れ物を取りに戻らないことには先に進めない。アル中にはアル中の
過去がある。酒をやめるためには、その過去を探らなければならない。しか
し激しい疲労感に襲われる。
やはりアル中話は独演会の後の話題には相応しくなかった。
「陽吉さんは何を忘れてきたんですか?」
光子が追い討ちをかけてきた。
「それがまだわからないんだ」
自分をいちばん大切な人と認識した自分に、わたしは激しい拒否反応を示
していた。そんなことをすればわたしの歴史が崩れる。わたしがわたしであ
ってわたしでなくなる。わたしはわたしの攻撃を受ける対象なのだ。そして
その償いが、わたしの人生となる。わたしはたえず被告席に座っていなけれ
ばならない。被告人は大切な人であってはならない。
体が疼いた。
アル中の種が動き出した……。
(了)
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