「そのときはどんな人が出演してたんですか?」
わたしは名前をあげた。いまではいずれも中堅真打となっている。
「すごい人たちじゃないですか」
「そうかもしれないね。でも大した連中じゃないよ」
その大した連中ではない中にはわたしも入る。講談界の低迷はすべて先輩
たちの責任だといえた時代はすぎた。わたしもいつのまにかその情ない先輩
の一人になっている。
「陽吉さんは望みが高すぎるんじゃないですか。高座を聴いていてわかりま
す」
「それはあるかもしれない。何をやっても満足したことがないからね」
「それって不幸ですよね」
「うん。満足するほど喜べないから酒を飲み、哀しみ足りないから酒を飲む」
「何ですか、それ……?」
「アル中君は何事につけても貫徹させないと気がすまないということさ。ア
ル中君は酒を抑えることもできないけど、感情のコントロールもできないん
だ」
「でもお酒を飲んで愉快な気分になろうという気持ちはわかりますけど、ど
うして哀しい気分を増幅させる必要があるんですか?」
「涙を流しながらメロドラマを観る奴と同じ心理だろうね。自分が主役のド
ラマを、いつも明るい喜劇かホームドラマに仕立て上げようとする者と、お
れみたいにハードボイルドに仕立て上げようとする者とに別れてしまうんだ
ろう。だから突きつめていけば喜劇も悲劇も同じ。暑いも寒いも同じ。おれ
はあのときの若手講釈師を合わせ鏡にして自分自身を見ていたのかもしれな
いね。世の中の流れに乗れない自分のドラマを……」
「それって自己憐憫以外のなにものでもないですよね」
「うん」
「否定しないんですか」
「否定できないさ。甘ったれ坊やが告白してるんだもの。アル中君は自分が
可愛くて可愛くて仕方がないんだ。自分は一発も打たれずに、いつも相手を
KOしたいって考えてるんだ」
「だけどそのときは講釈師になるって決めていたんですか?学校では落研に
入っていたんでしょう。落語家になろうとは思わなかったんですか?」
「講談研究会なんてあるわけないし、落研にでも所属してないと、学校にい
く理由がまったくなくなってしまうからね。それで入部したんだ。でも部員
の部屋を泊まり歩いただけで、彼らとはそれだけの交際で終わってしまった
……。高校時代も含めて、おれはもっと学生の身分を楽しんでおけばよかっ
たと、いまつくづく後悔してるよ。
……でも落語家は無理だと思った。惚れて惚れぬいた師匠を楽屋口で待ち
受けて、何度も弟子入りを頼もうとしたんだけど、どうしても足が前に進ま
ないんだ。水が油に弾けるように、おれは落語界から拒否されている、おれ
は落語家の体質ではないのかもしれないという疑問が生まれてね。それは当
たっていたと思うけど」
「どこが当たっていたんですか?」
「おれは本来客商売には向かない性格だからね。落語家の、あのシビアな世
界で通用したとは、とても思えないんだ。それに講釈師のほうが圧倒的に人
数が少なくて、これは何でもできる、売れる確率も高いと思ったんだ」
錯覚だった。講談界は人数が少なくても、需要がない……。
「そこまで考えていても、陽山先生のところへはいけなかったんですね」
「うん。師匠の家の前までは何度も行ったんだけどね。どうしてももう一歩
が踏み出せなかったんだ」
「ダメな人だったんですね」
「うん」
「これも否定しないんですね」
「おれは何も否定しないよ。あなたがおれに抱いている感想を否定したって
始まらないし、否定しないほうが、否定しようと葛藤するより楽だからね。
だけどおれは人生の第一志望であった落語家を断念した男だという思いは、
長い間劣等感としてくすぶっていた。だからあれだけ飲んだくれて、本気で
講談の修行をしてきたかどうかもわからないよ」
わたしはウエイトレスの冷ややかな視線に気がついた。
「もう一杯コーヒーもらおうか。それにチーズケーキも……」
「そんなに人の視線が気になりますか?」
「気になるね。たとえば駅近くのコンビニで買い物をしたとする。ところが
大根を買うのを忘れてしまった、アパートの近くに八百屋があるけど、自分
はコンビニの袋を抱えている、この袋を抱えたまま八百屋に入るのは喧嘩を
売っているようなもの、だからおれはもう一度駅近くのコンビニに戻って大
根を買いなおすんだ」
「アパートから駅まで歩いてどのくらいあるんですか?」
「十五分」
「往復で三十分……」
「でもおれには必要な時間なんだ」
…………
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