愛山の講談私小説シリーズ 家庭菜園(4)

 

家庭菜園

 

1 2 3 4 5 6 7 8

 

 

「大江戸かわら版」は寄席情報の専門誌で、都内の講談、落語、浪曲の定席
や地域寄席の日程が網羅されているが、「演芸台本募集」の広告を見たのは数
年前のことだった。学術文化省が主催で、もちろん審査員には芸人も含まれる
が、演芸作家や評論家に学識経験者が大半だった。
 わたしは演芸台本は活字で評価するものではなく、演者が高座にかけて初め
て評価されるものだと考えていた。つまり台本は演者の手に渡った瞬間に演者
のものとなり、その作品を活かすも殺すも演者の責任で、高座という魔物を熟
知していない者に審査させるとおかしなことになるとも思っていた。しかし学
術文化省の責任だ。わたしが差し出がましい口を利いても始まらない。
 ーだがこのときわたしに「講談作家教室」の発想が閃いた。わたしが生徒
を募集して、わたしとの共同作業で新作講談を仕立てるのだ。
 「大江戸かわら版」が全面協力を申し出てくれて、わたしは講談作家教室開
催の趣旨を書いた。全国紙の芸能記者も夕刊で紹介してくれたが、応募者は三
人だった。
『ふつうは賞金を出して台本を募集するのに、センセイの場合は品川陽吉とい
う看板だけで月謝をとるわけだろう。よくやるよ。三人でも上出来だよ』
 先輩の落語家風流亭玉丸に苦笑されながらも、わたしの講談作家教室は始ま
った。玉丸はまん丸の兄弟子で、わたしをセンセイと呼ぶのは、もちろん冷や
かしだった。
 まず講談の技法を実演し、わたしの新作台本を与えて発想から構成にいたる
までの流れを説明した。月に二度の講義で、教材としてわたしの高座の実演テ
ープを使用した。
 ーひとつのアイデアは連鎖反応をおこす。
 わたしは次に自宅での講談会を目論んだ。
 フリーライターの二階堂安江と同棲していた頃、『講釈師と、一体どんな生
活をしているのか、みんな知りたがって困るのよ。ねえ、いっそのことウチで
講談会をやって、お金とって聴かせちゃおうよ』と、安江の発案で一度だけ自
宅講談会を開いたことがあった。
 わたしはそのことを思い出した。
 六畳の荷物を四畳半に移せば、七人の客は呼べる。芸人として、土曜、日曜
に家でぶらぶらしているのはやりきれない。予約客がなければ、その日はキャ
ンセル。雨が降ろうが雪が降ろうが、わたしは部屋にいるだけでいい。
『無精者の鏡だね。よくもまあそういうことを考えつくよ』
 またも玉丸にからかわれながらも、わたしの自宅講談会「六畳庵」はスター
トした。講談作家教室と六畳庵が、わたしの精一杯の営業であり、収入的には
焼け石に水だが、すくなくとも精神的な支えにはなっていた。

「それじゃこれからカラオケに行きましょうよ」
 十一月に入り、ようやく暑さがおさまった。夏が終わった。不思議な時代に
なったものだ。季節が狂っている。袷の着物は十月から五月、単衣は六月と九
月で、その他は絽という、江戸時代からの習慣にはとても従えない。着物も現
代の陽気にあわせた新しい伝統をつくらなければならないだろう。
 エアコンのないわたしの部屋は蒸し風呂で、夏場の六畳庵は避けていたが、
この陽女(ようじょ)だけは通ってきてくれた。浴衣のわたしは一人の客を相
手に汗だくになりながら六畳庵を続けた。
 彼女は主婦でありながら講談を習いたいと、わたしのもとに通う素人弟子で、
プロの前座よりも熱心に勉強していた。わたしは品川陽女という名前をつけた。
 今はプロが多数のアマチュアに指導する講談教室が盛んだが、わたしはマン
ツーマンで教えていた。
「これから……ですか」
 わたしは陽女の言葉に驚いた。そんなつもりで話したわけではなかった。
「そうです。わたしはこのあと時間がありますから」
 わたしの師二代目品川陽山は講談を音楽としてとらえ、ひとつひとつの言葉
を音符になぞらえて稽古した。語尾の上げ下げにやかましく、また所作にもう
るさかった。
 わたしは音痴で、子供の頃から歌が劣等感になっていた。ドの音だけは五線
譜から外れて短い横棒を手書きする。それならば何故ここに最初から横棒を印
刷しておかないのか。わたしの疑問に、女教師は笑って答えなかった。わたし
と音楽の縁は、それで切れたー。
 だから講釈師になり、悪酒を飲んだくれていた頃、酒場で『何か歌ってよ』
と客にマイクを渡されることを何よりも苦手としていた。
 しかし歌が嫌いなわけではない。それどころか青春歌謡を中心にした懐メロ
はずいぶんダビングしてあるし、普通の音痴並みには歌いたいという願望も強
かった。しかし歌えない。一人でカラオケボックスに出かける勇気も出ない。
 と、六畳庵のあとの座談で、この話を聞いた陽女が、いきなりわたしをカラ
オケに誘ったのだ。
 そしてわたしの躊躇を断ちきるかのように立ち上がったー。

 わたしはどうして陽女に従ったのだろう……。
 すでに道を歩いていても不動産屋の物件情報が気になるようになり、引っ越
しに備えて、古道具屋で収納ケースを買ったりし始めていた。台本を整理し、
本もだいぶ捨てている。この荷物の整理のために早起きが日常となり、先月に
は携帯電話も購入した。
 わたしが携帯電話の必要性を痛感したのは、母親の臨終前後のときで、大体
が機械に弱く、不器用だし、文明にふりまわされるのは、貰い物のパソコンだ
けでもうおしまいと、携帯電話を拒否し続けてきたわたしも、とうとう手に入
れた。転居後の新生活の必需品と思ったのかもしれない。
 そしてその次がカラオケだー。
 駅前の古い小さなビルの地下にあるカラオケボックスに出かけると、わたし
は春日八郎の「赤いランプの終列車」を、まず歌った。わたしが生まれた年の
ヒット曲だ。
 陽女は呻きにしか聞こえないといった。
 たしかにそうかもしれない。
 わたしは呻いているのだ。
 わたしは呻き下手なのだ……。  

トップページに戻る

 

Copyright©2007,愛山の話芸ドットネット All Rights Reserved.