転居に関わる雑事が一段落した。駅まで歩く時間が三十秒ほど余計にかかる
ようになった。従来の道を通っても構わない。が、わたし別の道を選んだ。も
ちろん既知の道で、畑にはさまれて、ほとんど一本道というところが気に入っ
ていた。
この土地で、おれは死ぬのかもしれない……。
そんな予感が、ふと脳裏をよぎった。以前から、どういう風に生きようかで
はなく、どんな風に死にたいのかを考えるようになっていた。
今度のアパートは庭つきだった。黒と黄色の野良猫が通り過ぎるのを目にし
たが、やはりベラは姿を見せなかった。
ブロック塀の向こうは駐車場だが、広い庭で、垣根越しに見える隣の庭には
滑り台が置かれてある。この庭伝いに、子供たちの声がよく聞こえてきた。
かねて大家夫人から『お子さんが多いですよ』と聞かされていたが、毎日夕
方ちかくになると、アパートの前はにぎやかになり、子供たちを遊ばせる母親
の声が心地よく聞こえてくる。この子供たちをやさしく包み込む甘い響きに、
誰よりもわたし自身が癒されていた。
前のアパートからごくわずかな距離に、まったく新しい世界が開けていた。
ここなら相性があうかもしれない……。
わたしは直観的にそう思った。
転居後初めての六畳庵は、日曜日の昼下がりに開いた。客は陽女と沖田勇の
二人。新選組ファンの沖田の父親が、倅に勇という名前をつけた。まだ二十代
だが、沖田はこの名前の話になると童顔をほころばせる。高校生の頃からの講
談好きで、年は若いが、講釈場の定連としての名前が通っていた。講釈師の物
真似もうまい。
「何だか前の部屋にいるようですね。とても違う部屋とは思えない」
沖田がいった。それはそうだろう。同じ間取りの上に、家財道具を同じ配置
にしてある。だからわたしはこの部屋にすぐに馴染んだ。
六畳庵は『芸人を座敷に呼べば高くつく、座敷にいけば安くつく』を謳い文
句にしていた。ここは、前の部屋よりも、よく声が通る。しかしまだ入居して
間もない。わたしの商売が知れわたるまでは、すこし遠慮をする必要がある。
わたしは声を抑えた。
開演中、アパートの子供たちは静かにしてくれていた。
古典と新作の二席を読み終わり、防音のために締めきっていた窓を開けた。
前住者が残していったエアコンは四畳半の寝室にある。六畳間までは冷気は届
かない。ここでも夏の六畳庵は苦労するだろう。
庭を眺めながら、陽女が、
「雑草がはえてきてますわねえ。家庭菜園か何かを始めませんと、ただ草むし
りをするだけのお庭になってしまいますわよ」
といった。
たしかにそうだ。
わたしは愕然とした。
ただ草むしりをするだけの庭ならいらない。人生も同じだ。何もしなければ
苦労の芽をつみとるだけで終わってしまうー。
目から鱗が落ちた。
そして今まで腹の底でくすぶり続けていたある思いが頭をもたげてきた。そ
れは講釈師としての現状からの脱出だ。といってもそれは講談組合に移籍する
ということではない。新しい組織を立ち上げるにしても、松尾僚調のように一
緒に行動したい人材はいる。しかし徒弟制度に縛られている、この伝統芸の世
界で、引き抜き行為は許されない。
それではどうするー。
わたしは大きなテーマをあたえられた。
「これからみんなでカラオケにでもいきませんか」
わたしはいった。
久しぶりに血が燃えてきたのだ。
外に出ると、いつのまにか子供たちが遊んでいた。そして一人の男の子が母
親に呼ばれた。わたしの甥と同じ名前だった。
(了)
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