愛山の講談私小説シリーズ 母の最期(10)

 

母の最期

 

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 母親の遺体を、そのまま斎場に運ぶ方法もあった。が、父親は断固『家に連
れて行く』と言った。
「あのね一高ちゃん、お母さんがあたしに『ねえ小崎さん、お金貸してよ』と
言うの。貸してあげてもいいけど一体何に使うの?と訊いたら『タクシーに乗
って家に帰りたい』ですって」
 そう言って小崎夫人は涙ぐんだ。義妹にも『あんたは車の免許を持っている
のに、どうしてあたしを家に連れて行ってくれないの』と言って困らせたとい
う。母親は家に帰りたかったのだ。
 わたしの部屋に遺体を寝かせた後、葬儀社の山川が枕飾りを整え、これから
迎える通夜、告別式にともなう一連の流れを説明した。三十代前半か、童顔で、
律義そうな男だった。
「ご葬儀をどちらで行われるかは……ま、これは私どもの会館をお使いいただ
くか、それともお寺さんのほうにおまかせするかということでございますが…
…そのことにつきましては私どもは口をはさめませんので、お寺さんとよくご
相談なさってくださいませ」
 そう言って山川は僧侶が現れると同時に台所に下がった。僧侶が枕経をあげ
た。僧侶は何度も「やはりお通夜、ご葬儀はご本尊さまがお出でのお寺を使っ
ていただきましたほうが……」と口にしたが、中一日おいた月曜日が斎場で通
夜、火曜日が告別式と決まった。斎場のほうが簡明にすませられるとの判断だ
った。
 義妹の父親が、兄姉が、町会の者が、次々と線香をあげにやってきた。わた
したち家族は北関東から転居してきた。わたしが小学校三年の時だ。母親と小
崎夫人はその頃からの付き合いだが、はたして手伝いの手が足りるだろうか…
…。わたしの心配は杞憂に終わった。来客の多さに甥がはしゃぎ、やたらに線
香をあげたがった。
 わたしが死亡届を書いている間に、父親と弟は寺に出かけた。戒名をつける
ために『故人の人となりを改めてお訊きしたい』と僧侶が言ったからだ。お布
施の相談もある。
「細かいお打ち合わせは明日にいたしましょう」
 山川も帰り、すこし時間が空いた。わたしはお江戸両国亭の楽屋に電話を入
れた。本来ならば昼夜にわたる品川陽吉独演会の、夜席開演直前の時間だった。
「おふくろ死んだから……。一門に情報を流しておいて」
 電話に出た楓に、わたしは伝えた。子育てを終えた後に講釈師を志願した、
楓は異色の女流だった。
「ご愁傷さまでございます。お悔やみ申し上げます」
「で、昼間お客は何人来た?」
「お一人様でございます」
「……」
 とうとうこの時がきたか……と、わたしは思った。独演会に客一人、それは
絶望的な数字だった。だが独演会はわたしが講釈師であることを支える唯一の
証で、とてもやめられるものではない。
 しかしその独演会の日に母親が死んだということは「もうやめな。ふんぎり
をつけな。講釈師として違う道を見つけな」と言ってくれているのだ。独演会
に客一人という無残で残酷な現実を、母親が命をかけてわたしの目に入れなか
ったのだ。
「じゃ、後はよろしく」
 わたしはあえて夜席の客人りを尋ねなかった。入れ掛けにさえならなければ
本望だー。

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