愛山の講談私小説シリーズ 母の最期(2)

 

母の最期

 

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 終点でバスを降りた。このまま道を真っ直ぐに進み、突き当たりの坂を越え
ると海が広がる。子供たちが遠足に訪れるが、遊泳禁止で、富士山がよく見え
る。坂の手前が折り返し点になり、バス通りは高校時代のマラソンコースでも
あった。その頃の道の片側は草に覆われた一面の空き地で、そこに父親が家を
建てるとは夢にも思っていなかった。
 銀行の裏を抜ければ実家まで二分。これから買い物に出る母親と今にも出会
いそうだ。何度も試みたが、母親はとうとう自転車には乗れなかった。無邪気
なだけが取り柄で学問もなかった。
 玄関の引き戸を開けると台所の弟と目があった。わたしは右手を上げた。
「お帰りなさい」
 弟の支度を手伝っていた義妹が言った。
「ちょうどよかった。タオルを替えに、今から病院へ行くところだったんだ。
一緒に行こう」
「うん。だけどちょっと待って」
 わたしは弟に断り、父親にアパートの契約更新書類を差し出した。それまで
のアパートは面倒なこともなく簡単にすませてくれたが、今のアパートに移っ
てからは四回目の手続きになる。わたしは同じことを慎重に説明した。わたし
は、子供の頃から苦しんできたこの確認癖が強迫神経症といわれることを三十
をすぎるまで知らなかった。同病の精神分析の学者が書いた本が、わたしにそ
のことを教えてくれた。病原菌は父親に間違いない。
「わかった。やっとくだよ」
 父親はかすれたような声で言い、書類に手を伸ばそうとする甥を叱った。
 ーわたしは弟の車に乗った。
「背骨がずれて、そこから菌が入ったんだ。入院する前は痛い痛いと言って動
けなかったし、この前軽い手術をしたんだけど、その結果の様子をみて、コル
セットを作るのか、金属を入れるのか、他の方法があるのか、とにかく先生も
次の段階を考えるらしいんだ。肺にも水が溜まっているし……。もっと早く病
院に連れていけばよかったよ。病人が甘ったれてると言われたくなくて、婆ち
ゃんずいぶん無理してたんだ」
 バス通りを走り、二、三分で市立病院に着いた。山を切り崩して建設した大
病院で、まだ新しい。市が合併しても市立病院の名称はそのまま残された。
 廊下ですれちがった車椅子の患者に、弟は「どう、元気?」と気軽に声をか
けた。わたしは人に道も聞けない。人間関係の構築を本能的に避ける……。
 母親の病室は七階の四人部屋だった。入室してすぐ左、上半身のベッドをす
こし上げて、母親は寝ていた。サイドテーブルに甥の写真が飾られてある。
「婆ちゃん、師匠がきたよ」
 弟が母親を起こした。弟はわたしを師匠と呼ぶ。兄が講談の真打であること
が、弟のささやかな自慢なのだろう。自慢されるような兄貴じゃないー。し
かしわたしは他の方法で弟を喜ばせてやることはできなかった。
「来たんか」
 わたしの顔を見ると母親は驚いたように言った。言葉は明瞭だし、顔つきは
七十代の後半らしく老いている。だが毛布のすきまからのぞく足はこげ茶色を
しており、体とは不釣り合いに痩せていた。弟がその足を撫で始めた……。
「うん。たった今」
「仕事かい」
「いやそうじゃないけど……」
 弟が母親の胸元のタオルを取り替えた。
「これがよくやってくれるだよ」
 母親が目をうるませながら言った。わたしも驚いた。子供の頃からヤンチャ
で、母親をよくからかっていた弟が、献身的な看病をしている。カメラ関係の
仕事をしているが、隣の患者に写真の現像を頼まれているようだ。
「何もしてやれないうちに、こんなになっちゃって、悪いね」
 母親がわたしに言った。
 ー冗談じゃない。何もしてやれないのはおれのほうだ。二十年前はアルコ
ール依存症で家庭崩壊寸前まで追いつめ、未だに独り者のウダツのあがらない
講釈師じゃないかー。
 不覚にも涙が滲んできた。
 この場にいたたまれなくなってきた。
「じゃ、また明日来るから……」
 わたしはそれだけ言うのが精一杯だった。
 弟が母親に「お休み」と言った。
 わたしは逃げるように病室を出たー。
 

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