愛山の講談私小説シリーズ 出身地(3)

 

出身地

 

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 年が明け、申告受付まで一と月ちかくあるというのに、わたしは早々に確定
申告を書き終えた。不器用なわたしは印を押すことが苦手で、曲がらないよう
に、かすれないようにと、ほとんど恐怖にちかい感情が走る。申告用紙が送ら
れてくる前から捺印の練習をするのは毎年のことだ。

 ……『皿一枚にいたるまできっちりと梱包して、運送屋が驚いていたくらい
さ』と叔父が言った通りに、父親の几帳面な性格は、わたしに移され、わたし
は強迫神経症という厄介な病を背負い込んでしまった……。

 そして確定申告を書き終えた瞬間、佐野から清水に移している本籍の住所は
どうなっていたろうかと思った。清水は静岡市と合併して住所変更があり、本
籍の住所も新しくなった。その通知が届いたのは昨年の五月だが、わたしは確
認のために、その書類を手にした。そして奇妙なことに気がついた。現代表記
であるはずの、わたしの本名の一字が古い表記になっているのだ。
 わたしは早速清水の戸籍係に問い合わせた。戸籍係は親切な男で、佐野の出
生届までさかのぼって調べてくれたが、やはり古い表記になっているという。わた
しは実家に電話を入れた。
「そんな昔のことは忘れてしまっただよ」
 父親は言った。戸籍係の転記ミスということも考えられるが、出生届がそう
なっている以上、わたしの名前は古い表記が正しいのだ。わたしは五十年もそ
のことを知らなかった。パスポートさえ現代表記の名前で申請した。わたしは本当
の名前を佐野に封印してきてしまったのだー。
 違和感が走った。それは出身地を静岡にしている違和感と同質のものだった。
そして、封印したものならば、封をとかなければならない……と思った。

 一月下旬、二日前の雪は、まだ残っていた。わたしは撮りきりカメラを求め、
再び佐野を訪れた。清水の父親に、佐野の写真を見せてやろうと思い立ったか
らだ。

 ……わたしは母親に何もしてやれなかった。要介護度四を認定された母親の
面倒をみたのは父親と弟夫婦で、長男として、わたしは精神的にも、金銭的に
も、何も援助をしてやれなかった。その後ろめたさが、父親を慰めてやろうと
いう思いにつながったのかもしれない……。

 厄除け大師には大勢の参詣人があった。近辺には駐車場が多く、老婆たちが
手を振って客を呼び込もうとしている。その顔が、すべて母親の顔に見えた。
骨格が似ている。やはり母親はこの土地の女なのだ。
 越中の店に顔を出した。どうやらこの店が、わたしの佐野のアジトとなりそ
うだ。越中は休憩時間を利用して、わたしを安岡のもとへ連れて行った。安岡
は記憶に残る数人の幼馴染みの一人で、家は神社の鳥居前にある。安岡は家業
を継いでいた。その製麺業の仕事場は格好の遊び場だった。突然の来訪にもか
かわらず、安岡は快くわたしを迎えてくれた。安岡の妻が鳥居を背景にわたし
たち三人をカメラに収めた。
 幼馴染みたちは家庭をもち、それぞれが土地に根づいて生きている。それは
清水の友人たちも同じことだ。わたしははっきり二つの故郷を意識した。
 安岡の母親が姿を現した。
「まあ○○ちゃん」
 安岡の母親はわたしの両手を握った。わたしが母親の死を告げると、一瞬眉
を曇らせ、「まあね、いつかは別れなけりゃならないんだからね」と言った。
「でもあれだよ。うちの忠弘が幼稚園に行きたくないって拗ねていると、先生
と○○ちゃんが、よく迎えにきてくれたんだよ。でも結局うちの子は一年幼稚
園には行かなかったけどね」
「そんなことがありましたか……」
 わたしは小学校一年のときに、仮病をつかい、学校を早退すると、保健所の
物陰で、夕方近くまでじっと息をひそめてうずくまっていたことがある。不登
校の走りで、とにかく人が怖かった。そのわたしと同じような体験を安岡も経
験していた……。

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